缺心眼子作者2023-10-2317:25:36辽宁
1.草の戸も住替る代ぞひなの家(くさのともすみかわるよぞひなのいえ)草戸芭蕉庵,换住一代新家来,女儿人形壇。(戸口が草で覆われたこのみすぼらしい深川の宿も、私にかわって新しい住人が住み、綺麗な雛人形が飾られるようなはなやかな家になるのだろう)
这首句子描绘了芭蕉庵的退休和新家庭的来临。原本草门庵是一个简陋的宿舍,现在芭蕉要离开了,新的居民将入住,并在那里摆放美丽的雛人偶。这首句子主要表达了作者对退休后生活的向往和期望。
2.行春や鳥啼魚の目は泪(ゆくはるやとりなきうおのめはなみだ)去春惜行早,思之道途三千迢,鸟鸣鱼眼潮。(意味)春が過ぎ去るのを惜しんで鳥も魚も目に涙を浮かべているようだ。この日元禄2年3月27日、芭蕉は千住で見送りの人々と別れ、草加を経て、粕壁(現埼玉県春日部市)で宿泊している。別れに当って「前途三千里」の不安と惜別が去来した。長旅にはもはや慣れ尽くした芭蕉ではあったが、今回は健康のこと、方角が初の東北であったことなど、不安材料は多かったであろう。
这首句子是芭蕉在旅途中的感受。他在春天的离别中感到了鸟和鱼的眼中充满了泪水。在元禄2年3月27日,芭蕉与送别的人们在千住分别,经过草加,住在粕壁(现在的埼玉县春日部市)。离别时,他感到了未来旅程的不安和离别的悲伤。尽管芭蕉已经习惯了长途旅行,但这次旅行对他来说有很多不确定因素,比如健康问题和前往东北的方向是他第一次。
3.あらたふと青葉若葉の日の光(あらとうとあおばわかばのひのひかり)噫吁嚱尊哉,青葉若葉尽辉煌,日光照日光。(意味)ああなんと尊いことだろう、「日光」という名の通り、青葉若葉に日の光が照り映えているよ。なんと尊いことだろう日光山は。新緑に埋もれる木の下闇まで燦々と日の光が射している。これは、弘法大師さまと東照宮さまのおかげだ。芭蕉の徳川政権への過度の賞賛がしばしば非難された句。この句も初案から推敲によって大きく変った。初案は以下の通り;日光山に詣づ4、剃捨てて黒髪山に衣更曾良作(そりすててくろかみやまにころもがえ)剃发一行僧,翻越黒髪山岭峰,更衣日恰逢。曾良作(意味)旅に出発する時に髪を剃って坊主の姿となった。今また四月一日衣更えの時期に、その名も黒髪山を越え、この旅にかける決意を新たに元禄2年4月1日。今日は衣更えの日。曾良は、この旅の出発にあたり黒髪を落とし、すでに墨染めの僧衣に衣更えをしたのだが、今日こうして黒髪山で衣更えの日を迎えるのも因縁に違いない。曾良の句とするが、曾良を印象的に登場させるために芭蕉が作ってここに入れたのである。するのだった。
这首句子表达了对日光山的赞美。他说夏天的绿叶和新生的嫩叶被阳光照耀得灿烂辉煌,这样辉煌的景象让他感到非常珍贵。他还提到了弘法大师和东照宫,表示他们的加持使得这样美丽的景色成为可能。虽然芭蕉对德川政权过度赞美的做法经常受到批评,这首句子经过多次修改后成为了现在的形式。
5.暫時は滝に籠るや夏の初(しばらくはたきにこもるやげのはじめ)难得难得闲怡然,潜身瀑中背后观,夏行如回還。「夏(げ)」は、「夏行(げぎょう)」のことで、陰暦4月16日から90日間水垢離(みずごり)などをする僧侶の行(ぎょう)のこと、夏安居(げあんご)とも。「裏見の滝」を見物しながら、まるでその夏行に入ったような気分になった。そういえば、もうそろそろ夏行の始まる季節だ。神仏に祈願する時、冷水を浴びて汚れを除き心身を清浄にすること。垢離(こり)。なお、ここでは他に、「ほととぎす裏見の滝の裏表」または「ほととぎす隔つか滝の裏表」などが作句されている。(意味)滝の裏の岩屋に入ったこの状況を夏行(げぎょう)の修行と見立ててしばらくはこもっていようよ。
这首句子描述了芭蕉在滝后的隐居生活。他暂时躲在瀑布洞穴中,仿佛进入夏季修行的状态。他提到了夏行行者在4月16日开始进行为期90天的垢離修行。在观赏裏見之瀑布的同时,他体验到了进入夏行状态的感觉。他提到了清洁身心的方式,即祈祷时用冷水洗澡以除去污垢。他还提到了其他与瀑布相关的句子。
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