物語はいちばん真相に近いところで終わってしまう。
本間俊介がいちばん知りたいのは、新城喬子がどうやって関根彰子を殺したか、のではない。
それも作者がいちばん読者に伝いたいことではない。だから、いっそ省略し、書き続けるのをやめる。
ならば、本間俊介が求めるのは何だ。事件の真相を完全に突き止めるのはもちろんのこと。
新城喬子と対話し、彼女の心の奥まで理解しようとするのだろう。
要するに、作者は、カード社会やローン社会で苦しむ人たちの思いを読者に伝いたいのだろう。
クレジットカードなどの危険性を読者に提示しつつも、人間性を十分に描き出す作品を完成した。
最初に無駄話が多すぎるという感じだが、読み進めるうち、無駄話と思われた文のほとんどは本間俊介という人物を立体化させたのだ。
息子の智、同僚の碇、家政夫の井坂、それらの役と彼らに巡った一連のエピソードや出来事は、物語の展開の伏線になったり、本間俊介の人間感情を豊かにしたりする。
タイトルの「火車」、つまり、火の車、どう理解したらいい。
元々、火が燃えている車。生前に悪事をした亡者を載せて地獄に運ぶという意味。
作品の中、一度だけ出てきた。
井坂が「拾玉集」の古歌を口にする。「火車の、今日は我が門を、遣り過ぎて、哀れ何処へ、巡りゆくらむ」
それで、本間俊介はそれをカード社会の運命の車だする。新城喬子も関根彰子も火の車に載せてた一員だ。
すばらしいタイトル。
栗坂和也は「彰子」が彰子ではないことに怒って去って行った後、再び作品に出てこないのはちょっと残念。
相关推荐
© 2023-2025 百科书库. All Rights Reserved.
发表评价