宇佐见铃——出自《文艺》2019年冬季刊
要意识到自己的“迟缓”,是这部小说的出发点。这些“迟缓”来自社会,来自所有的人际关系,也是我自身学习和人格的缓慢。
从某一时期开始,我突然不会与人交流了,我的语言变得肤浅,我的节奏也变慢了。
这部获奖作品的语言缓慢且幼稚,但原原本本地反映了这种“迟缓”。如果我用其他方式写作,可能就是另一个故事了。主语使用“我”,或者选择那些社会上普遍使用的语言,那么主人公大概会变得老成吧。
在写作的过程中,我曾多次在平时不太关注的地方发现自己的“迟缓”。每当这时,我总会冲动地想把文章向正确的方向修改。但为了让自己继续走下去,我必须用“小兔”偏颇的视角去看这个令人心痛的世界,并把它写下来。
我们不应该否定这种“迟缓”,因为否定“迟缓”的人更容易对他人造成伤害。但我也觉得没有人能够否定“迟缓”之人的寂寞吧。
将来,不管我如何开拓视野,以怎样的目的写小说,“小兔”用她稚嫩的眼睛时刻盯着我的感觉,我不会忘记。我要踏踏实实地写下去。这是我今后能做的唯一的事。
最后,非常感谢一直以来支持我的朋友和老师们,还有我最重要的人们。谢谢你们。
日文版:「遅れ」を自覚しなければならない、というところからこの小説は出発しました。それは社会からの遅れであり、あらゆる人間関係からの遅れであり、私自身の学びや人格の遅れです。ある時期から急に人とうまく喋れなくなり、言葉が上滑りするようになった私の、テンポの遅れでもあります。
今回賞をいただいた作品のまどろっこしく幼い語りには、この「遅れ」がそのまま反映されています。もしも別の書き方をしていたら同じ話は生まれなかったでしょう。「私は」と書くだけで、あるいは社会に広く流通する言葉を使うだけで、語り手が幾ばくか大人びた人間にかわってしまう気がするのです。
書きながら何度も、普段意識しないところにある己の「遅れ」を突き付けられ、そのたびにまともなかたちに修正してしまいたい衝動にかられました。それでも私は、自分自身が次に進むために、「うーちゃん」の偏った目から見た痛々しい世界を書かなければならなかった。
「遅れ」を開き直るべきではない、と思います。そうした人間は容易く他人を傷付けるからです。しかし、「遅れ」た人間の淋しさを否定することは誰にもできないとも思うのです。
この先自分がどこまで視野を広げようが、どんな目的でどんな小説を書こうが「うーちゃん」の未熟な目に常に睨み付けられていることを忘れず地道に書いていこうと思います。それだけが、これからの私にできる唯一のことです。
最後に、これまで支えてくれた友人や先生方、本当にありがとうございます。そして私のいっとう大事なひとたちへ。ありがとさんすん。
初出=「文藝」2019年冬季号
翻译:ina
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